福島家庭裁判所郡山支部 昭和38年(家)1862号 審判 1966年5月17日
申立人 松田明男(仮名)
相手方 松田次平(仮名)
主文
本件申立を却下する。
理由
申立人は、「相手方は申立人およびその家族五人に対する扶養義務の履行として相手方が耕作している農地中別紙目録記載の農地を耕作させること、もしそれができないときは毎月相当額の扶養料を支払うこと」との調停を求める旨の申立書を提出し、その申立書によれば、その実情は、(一)申立人は相手方の二男として出生したが長男が夭折したので少年の頃から家業である農業に従事し、昭和二二年四月二八日妻サキをめとり共に一家の支柱として働き、その間四児をもうけ三六歳にいたるまで父母と同居していた。(二)ところが、相手方は申立人の出稼不在中妻サキに対していかがわしい態度に出たため、妻はいたたまれなくなつて昭和三八年三月一〇日実家に帰り出稼中の申立人に連絡してきたので、申立人は急いで帰郷し三月一四日妻と共に相手方のもとへ帰宅したところ、相手方夫婦は毎日出て行けと騒ぎたてて折合いがつかず、やむなく申立人は妻子を伴つて妻の実家に寄寓しその後他人を介して同居又は別居について交渉をしたが相手方の聞き入れるところとはならなかつた。(三)その後、申立人一家は町営住宅に落ちついたものの、多年農業に従事してきたものが一握りの土地もない状況では到底生活が成り立たず路頭に迷つている。」というにあつて、本件調停は、相手方の感情が極度に硬化していて調停に応ずる意思が全くなかつたため不成立に終り審判に移行したものであるが、その後申立人に対しては当事者双方の身分関係その他諸般の事情からみて相手方との感情の融和を図ることが先決であることを説いてその善処をすすめたが、結局審判をなすにいたつたものである。
ところで、申立人を当庁審判官の審問に対して、申立人の求めるものは耕地であつて金銭ではない旨を繰り返し述べており、その理由は、農家における長男(申立人は長兄が夭折したので事実上長男である)が多年父の農業経営に尽力してきた後事情があつて一家をなす際なんらの耕地も与えられないのは不当、不合理であるからその分与を求める、というにある。たしかに、このような場合一家を構えるものに相当の耕地が与えられる例も多く又それが望ましい場合もあるが、それはあくまで親の同意、承諾があるから与えられるのであつて、親がこれに応じない場合に子の側から、親子の間に農業経営に関してなんらかの契約が存在してその履行又は清算として農地の分与を請求しうるような事情があれば格別、そのような契約が全く存在しない場合に当然分与を求めることは現行法上認められていないし、まして家庭裁判所がこれを審判事件として処理できる旨の定めは全く存在しない。従つて、申立人が農地を求めるという趣旨が以上に尽きるのであれば本件調停は不成立としてそのまま終結して審判に移行すべき筋合ではなかつたのであるが、調停不成立後審判事件として取り扱われてきた経過に鑑みこれを扶養請求審判事件として考えてみることとする。
ところで、申立人は妻子のある成年者であるから、相手方に対する扶養請求権はどのようにして発生するかを考えてみるに、申立人が主張できる扶養請求権は所謂生活扶助の義務に対応して発生する権利、即ち申立人が自己の資産、労力によつて最低の生活さえも維持できなくなつたときその直系血族、兄弟姉妹のうち従前の生活を維持してしかも余力のあるものからその資力に応じて扶養をうけることができる権利であるから、申立人が困窮状態にあつて扶助の必要に迫られていることと直系血族、兄弟姉妹のうちに余力のあるものが存在することによつて始めて発生する権利であつて、決して生活程度の高い方から低い方へ相対的な均衡を図るために扶助をうけるというようなものではない。そして、民法上扶養請求権は特定の個人から特定の個人に対して給付を求める債権類似の権利として構成されているのであるから、申立人がいうように「申立人およびその家族五人の扶養義務の履行として」相手方に請求するということはできない筋合である。すなわち、申立人が扶養義務を負つている妻子の生活需要を自らのそれとして扶養請求することはできず、妻子については別個にそれぞれの義務者について考慮すべきだからである。
以上の見地にたつて、申立人の要扶養状態について調査および審問の結果を調べてみると、申立人は相手方と別居して別世帯を構えた昭和三八年四月から山仕事に従事して一日七〇〇円、一ヵ月一万七、五〇〇円程度の収入があり、同年一一月から東京に出稼して昭和三九年三月までの間一ヵ月平均七、〇〇〇円位を送金し(なおこの間昭和三八年七月から昭和三九年三月まで生活保護をうけていた)、昭和三九年四月から東京の大工塚本一郎方で働いて一日一、〇〇〇円の収入があつて一ヵ月一万五、〇〇〇円位を妻子に送金し、同年一一月から大工下田義男方で働いて日給一、三〇〇円を得一ヵ月一万五、〇〇〇円位を送金し、昭和四〇年七月から川崎市の○○鋼株式会社の倉庫係として勤務し一ヵ月二万五、〇〇〇円、最近では一ヵ月三万一、二〇〇円の収入があること(もつとも、申立人は昭和四〇年一一月四日職場で鋼材を足の上に落して小指を骨折し以来入院加療中であるが月給全額を支給されかつ保険給付で治療をうけている)、しかして、なお申立人は資産として山林七、八四四、六二平方メートル(七反九畝三歩)と田二、四八五、九五平方メートル(二反五畝二歩)を所有していたが、山林は昭和四〇年八月六万五、〇〇〇円で売却して借金の返済に充て現在殆んど借金はなくなっており、又田は相手方が耕作しているので農業委員会に対してその返還を申請中であることが認められる。
以上の事実からすれば、申立人は要扶養状態にあるとはいい難く、結局相手方に対して扶養を請求することはできないといわなければならない。
(なお、附言するに、本件申立にあらわれたような耕地を得て農業一すじに生き度いという申立人の心情は理解できるところであるが、このような親族間内部の財産的問題については法は人情と道徳と習俗によつて支えられかつ秩序付けられることを期待して極めて消極的な態度をとつて最少限度の事柄についてだけ規律しているに過ぎないので、その法的空白とでもいうべき部分が現代に即応した道義によつていかに充たされてゆくべきかは大きな課題であるというべきであり、場合によつては立法的な解決を必要とするであろうが、申立人に将来扶養の必要が発生したとしてもその方法として相手方から農地が与えられるということは扶養の性質上困難であろう。)
よつて、主文のとおり審判する。
(家事審判官 土屋一英)
目録<省略>